2013年1月6日日曜日

ウルトラマンの聖地 金城哲夫資料館

ウルトラマンの正義のヒーロー・ウルトラマン。

“ウルトラマンをつく創った男”と言われる脚本家・金城哲夫さんが、沖縄出身の方というのをはじめて知ったのはNHKの歴史秘話ヒストリアを数年前に見てからでした。



ウルトラマンと沖縄
~脚本家・金城哲夫の見果てぬ夢~

http://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/57.html











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 実際に金城さんの書斎が沖縄に残っているということを知り、南風原町の「松風苑」に行ってきました。

金城哲夫さんの書斎がそのまま残っていて資料館となっています。
新しいウルトラマンシリーズが始まる時などに出演者や関係者の方が来られるそうです。

多くの小説や百科事典、ファンの方が持ってこられたフィギュアなどであふれてました。
沖縄の方たちのお祝い事の際に家族で行くような料亭だとおっしゃってました。

立派な門構えで少しひるみましたがお店に入って仲居さんに声をかけると快く対応していただけました。

めったに人が来ないとのことで普段は閉めっぱなしにしているとのことです。

りっぱなお庭で見て回るだけでも見ごたえがありました。
この松風苑が沖縄で初めてすき焼を始めたそうで戦後は米軍相手に商売をされていたそうです。

今度来るときはぜひともすき焼を食べてみたいものです。
若くして怪獣ブームをおこしたウルトラマンシリーズの台本
沖縄に戻ってからの仕事の台本も残っています。
沖縄に帰ってからは
沖縄県に帰郷後の金城は地元のラジオ番組で、沖縄における米軍基地の負担を減らすために自衛隊による自主防衛の選択肢について触れ、それにより地元住人の不評を買い、また自ら演出立案に携わった沖縄海洋博でも、当時疲弊していた沖縄県経済の建て直しを図ったが、却って開催前よりも経済は悪化の一途を辿ってしまう。

など不遇だったそうです。(Wikipedia参照)










泥酔した状態で自宅の「松風苑」の離れの2階の仕事場へ直接入ろうとして足を滑らせ転落し脳挫傷のため死去。

37歳没。

子供から見ていたウルトラマンにこんなに悲しいエピソードがあるなんて知らずに見ていました。













          乗 

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