2016年12月17日土曜日

そしていよいろ西表南部縦走へ その2 クイラ川から南部縦走


翌日は屋良商店にボートをチャーターしてクイラ川上流に連れて行ってもらう












外離島、内離島は戦前は炭鉱で栄えていたそうで千人近くも住んでいたらしい
戦後になり炭鉱が廃れて一部の人が移住して出来たのが白浜集落だそうです





船浮は沖縄一の船の避難適地

水深が80mもあり周りを陸で囲まれているため台風になると大きな船が沢山避難してくるとか

やっぱり航路を示すブイもたくさんあった



クイラ川の名前の由来を分かるでしょうか?

越えるのに良い川
越良川
でクイラ川になったそうです

昔の方は周回道路なんて無かったのでこの川を小舟で漕いで上がりクイラの峠を越えて南風見田まで行き役場に行ったりしてたそうで、その道を我々が今はトレッキングしている訳です



ヒルギの様々な種類の集合体をマングローブと言う

昔はマングローブを切り開いて田んぼをたくさん作っていたそうです
船で漕いで集落から田んぼの手入れに来てたというから驚きです
白浜の炭鉱には昔はたくさんの人が住んでいたので食料も沢山必要だったのでしょう。

さがり花は背が高く猪よけとして田んぼの周りに垣根を作っていたそうです




そんな話を聞きながらクイラ川のクルーズは終わり上流で下ろして貰います

その後、おじさんに登り口までの行き方を案内してもらう




昨日の雨で増水して膝くらいまでは濡れて川を超える。




「この谷を超えてすぐに降りるんだぞ」

とおじさんに言われたものの

昔は道があったのかもしれないが今は全く痕跡が無くなっている

最初はリボンがあったがいつの間にか消えてしまった



それでも何とか尾根ままでは来るリボンから多少外れても尾根までは超えられるようだ








いろんな山行記録をみてるとこのY字の木のあたりに上がってくるのが正しいルートのようだ。

間違えると尾根付近は道がはっきりせずグルグルと同じところを回ってしまうことになってしまう。












また尾根から海側に降りるのが難しい

間違って降りると海への崖に降りてしまう。
またはアダンの薮こぎをしないといけなくなる



結局、またリボンを見失い薮漕ぎをして降りることになる。

いくつかT字路があったがどこで降りるのが正解だったのか分からないままだった。

この籔が曲者でトゲがありひたすら痛い

また隙間も少なく大きなリュックではすぐに引っかかってしまう
50L以下にはしておきたい





よくぞこんなアダンの中を藪漕ぎしてきてもんだわ。


ただ海に出た時の感動は人塩である

ここで激しかったジャングル超えの余韻に浸り行動食を取る




あとは岩と砂浜が交互に続く南部海岸を縦走する。


次は

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参考サイト


http://www.iriomotejima.net/list-rent.php

2日目 12/3(土) クイラ川から


入山届について

http://www.rinya.maff.go.jp/kyusyu/apply/nyurin/formalities/case_6.html


潮汐表

http://www.data.jma.go.jp/kaiyou/db/tide/suisan/suisan.php?stn=IJ

12/2(金)
 満潮 10:12 干潮 15:30
12/3(土)
 満潮 11:02 干潮 16:16
12/4(日)
 満潮 11:51 干潮 17:05


国土地理院 地図
 http://dkgd.gsi.go.jp/dkgx/page1.htm
 


https://www.google.com/maps/d/u/0/viewer?mid=1GgjfldvAhaSXgOKoC0r074QLT64&hl=en_US&ll=24.304745712588062%2C123.76875400543213&z=13


http://park15.wakwak.com/~takibi/haemi-kanokawa.html

琉大ワンゲル部OB会
http://skillet.jp/ruwv/iriomote/seinanntiku.html




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